「やった・・・」

間違いなく心臓を貫いたのを確認したリーズバイフェは小さく呟く。

二十七祖の一角であり『六王権』の信任厚い七人の側近の内一人を打ち破った。

だが、これは純粋にリーズバイフェが強かった訳ではない。

相手の実力を発揮する前に倒したに過ぎない。

これはスポーツでも決闘でもない、殺し合いなのだから。

だが、リーズバイフェには感慨に耽っている余裕など無い。

「悪く思わない事です。さて・・・ここを脱出しましょう。まだネロ・カオスがいるのですから」

いくら死を覚悟しているとは言え、それはむやみに特攻する事ではない。

いざとなれば命を捨ててでも敵と相対する覚悟は出来ているが、まだ戦いは続いている以上、命を粗末にするつもりもまた欠片とて存在していない。

直ぐに脱出しようとした時、背後から聞く筈のない声がした。

「見事だ女・・・いや騎士よ」

「!!」

慌てて振り返るとそこには・・・未だ槍に貫かれたままの『地師』が立っていた。

五『侵攻』

外したのかと一瞬思ったが直ぐに打ち消す。

貫かれた箇所は紛れも無い心臓。

それもただの武器ではない。

概念武装の施された槍を受けたのだから消滅していなければおかしい。

仮に心臓から外れたのだとしても概念武装を受けて平然としているほうがおかしい。

「だが惜しかったな・・・相手が俺でなく他の『六師』であればこれで決していたのだがな」

そう言うと無造作に槍を掴み、自身の傷口から引き抜く。

大量の鮮血が『地師』の服と大地、更に『地師』自身を赤く染め上げるが、その表情には僅かな苦痛が見受けられるだけ。

顔色に変化は無い。

むしろ変化があったのは傷口の方だった。

ビデオの逆再生を見ているように、服を濡らした血も大地に降り注いだ鮮血も・・・そして引き抜いた槍に付着していた血液までも次々と傷口に吸い込まれて行く。

それが終わると今度は血管、筋肉、そして皮膚と順に傷は塞がり、あろう事か服に開けられた穴すらも消え負傷していた形跡など欠片も見受けられなかった。

「な、なぜ・・・」

あまりの事態に絶句する。

確かに死徒には再生能力が備わっている。

しかし並みの死徒ならば即死確実、二十七祖級でも、そう易々と治癒出来ぬ程の負傷をここまで完全に、尚且つ短時間に癒すなど聞いた事がない。

「・・・『完全蘇生(コンプリート・レイズ)』・・・俺はそう呼んでいる。『タイタン』より俺に与えられた力だ」

その手に握られた槍を何の感慨も無く投げ捨て、無表情でそう告げる。

その声に誇らしげなものは一切無い。

むしろ自嘲と怒りが込められていた。

「俺は・・・『六師』では最弱だ」

今度は打って変わって怒りや自嘲すらも消え失せた。

淡々と事実だけを述べる赤の他人のような口調だった。

「『風師』や『炎師』の如く、自らに負担を与えず陛下より下賜された幻獣王の力を己が肉体で存分に振るう事も出来ず・・・」

その声は静かで・・・危険がはらんでいた。

「さりとて『闇師』や『光師』、それにメリッサの如く己の手足を使うかのように幻獣王を使役も出来ない」

『地師』は一歩前に進み出る。

「すべてが中途半端な『六師』・・・それが俺だ」

その言葉に誇張など何も無い。

それは『地師』自身に原因があるのか、それともこれが『タイタン』を使役する者の定めなのかは不明だが、『地師』はすべての能力を過不足なく備えてはいるが、どれかが突出している訳ではなく、良く言えばどの様な場面でも信用出来る万能型だが、悪く言えばどの能力も中途半端な『器用貧乏』の典型例だった。

「だが、こんな俺でも出来る事もあった」

そう・・・彼には他の『五師』にはない特殊な力があった。

それがリーズバイフェの槍すら防ぎきった『完全蘇生』。

『地師』が大地にその身を置いている限り彼には死は存在しない。

いや厳密に言えば『地師』が『タイタン』と繋がっているかぎり死ぬ事は決してない。

いかなる傷を受けようとも、『タイタン』が汲み上げた大地のエネルギーが、タイタンを経由して『地師』に供給され、全ての傷は完全に癒される。

いかなる傷でもだ。

完全に死に絶える傷であろうと死ぬ前に全て治癒が完了する。

「この力ある限り・・・俺は何度でも永久の忠誠を誓った主君を、敬愛すべき友を・・・そして愛する妻を・・・この身を挺して守る事が出来る」

実際、この力を使い『地師』は幾度他の『六師』を『影』を、そして君主『六王権』の身を危機から救った事であろうか。

その献身ぶり、そして功績、更に彼自身の人望によって『地師』の信頼及び信任は瞬く間に強固なものとなり、周囲に祭り上げられる形で彼にしてみれば身分不相応でしかない『六師』長の補佐を勤める様になった。

「だからこういう事も出来る」

そう言って右手を握り締める。

同時に右腕自体が異常に膨張を開始した。

瞬く間に服を内側から引き裂き、皮膚は破れ、血が噴水の様に噴出す。

リーズバイフェには何をしようとしているのかは判らなかった。

だが、何をしているのかは直ぐに判った。

右腕に信じられない量のエネルギーを注ぎ込んでいる。

ほぼ間違いなく『タイタン』からだろうが、普通ならあっと言う間に破裂するだろう莫大なエネルギーを、腕が潰れようともお構いなく際限無く注ぎ込む。

いや、本当に腕が潰れたとしても一向に構わないのだろう。

例え原形を留めないほど潰れたとしても、『完全蘇生』があれば直ぐに元に戻るのだから。

その空気に完全に呑まれたリーズバイフェはバンカーを打つ事もできず呆然と立ち竦んでいた。

いや、仮に攻撃したとしてもどれほどの効果が見込めただろうか?

どんな致命傷を与えたとしてもまた回復するだけならば意味が無い。

やがて右腕の膨張は止まる。

既に『地師』の右腕は元々のサイズより数十倍の大きさにまで膨張しもはや腕の原型など留めていなかった。

むしろ巨大な肉塊と呼んだ方が相応しい。

「行くぞ騎士よ。この一撃で決しよう」

何を決するのか等聞くまでも無い。

リーズバイフェは躊躇い無く、バンカーを発射する。

同時に『地師』も土煙と共に突進を開始する。

強引に槍を装填しながら次々と槍を放つ、だが槍はただの一発すらこの突進を止めるのに役を為さない。

どれだけ槍が命中しようとも『地師』はひるむ事無く突き進む。

槍が掠め肉片が吹き飛び、槍が突き刺さり鮮血が飛び散ろうとも、痛覚も恐怖も失せたかのようにただ一つの標的に突き進む。引き絞られた一撃がリーズバイフェを襲う。

これを間一髪で避ける。

しかし至近で発生した猛烈な突風が、体勢を立て直す前のリーズバイフェを吹き飛ばす。

「逃すか!」

その絶好のタイミングで再び肉塊を振り下ろす。

「!!」

しかし、それを今度は下からの衝撃で大きく逸れ空気を押し出す。

ちょうど拳であろう箇所に槍が刺さっている。

これが軌道を逸らした原因。

それを大した感慨も無く引き抜く。

リーズバイフェは既に充分な距離を保ちバンカーを構え直している。

「堂々巡りだなこのままだと」

さすがに、敵もしぶとい。

このままでも敗れるとは思わないが、時間を掛け過ぎる訳にもいかない。

一ヶ所の遅れが致命的な隙となる恐れを『地師』は充分に自覚していた。

「これで終わらせる」

そう言うと今度は両脚が膨張を始める。

右腕の様に原型を留めない肉塊とはならなかったが、両脚は一サイズ肥大化していた。

その脚で再び突撃の為体勢を低く保つ。

それに対抗する様に、装填を終えたバンカーを再度構えるリーズバイフェ。

しかし、その構えも徒労に終わる。

大地を蹴ったと思った瞬間には『地師』は自分の目の前にいた。

「!!」

自分の眼前からあの肉塊が迫る。

本能のままバンカーの引き金を引く。

次の瞬間・・・衝撃が身体を走り、リーズバイフェは宙を舞っていた・・・上半身のみで。

 

『地師』の肉塊はアスファルトを容易く砕き、地面を陥没させ、クレーターを創り上げる。

「・・・全く・・・大した騎士だ」

そう言う『地師』の手の甲に位置する場所にやはり槍が突き刺さっている。

リーズバイフェが最後に射出した一発が軌道を下に逸らした。

その為に、丁度胸部に衝突する筈だった一撃は丁度腰の付け根に命中した。

そかし、ある意味、このまま命中した方がましだったかも知れない。

当初の軌道通り進めば、リーズバイフェの上半身は弾け飛んでいた筈。

無論即死だ。

だが、軌道が下方に修正された為、リーズバイフェは前方二、三十メートル先の上半身と・・・『地師』の拳の下にある、血塗れの有機物と無機物の混合物・・・リーズバイフェの下半身と身に着けた鎧の成れの果て・・・に分断される結末に修正された。

大きく息を吐くと同時に膨張していた両脚、肉の塊と化していた右腕は元のサイズに戻っていく。

脚は服が破けただけで実害は無いが、右腕は原形を留めないほど潰れ、筋肉の筋が数本だけ繋がっていたおかげで地面に叩きつけられるのを辛うじて防いでいる状態だった。

おまけに今まで受けた槍が至る所に突き刺さり、とても無事とは思えない。

だが、それを見ても『地師』の表情には何の変化も無い。

平然と健在な左手で器用に槍を引き抜いていく。

そして、全ての槍を抜いた瞬間、逆再生を見る様に骨が元の形に形成され、それに続く様に血管と筋肉が纏わりつき、あちこちに飛散していた血液があるべき場所に帰還する。

そして皮膚が覆われ、服の袖が甦り腕の蘇生が終わる頃には、全ての傷は完全に消え失せ、『地師』に先刻までの戦闘の形跡は欠片すら見る事は無かった。

「・・・遅くなりました」

そこにネロ・カオスが姿を現す。

背後には北侵軍の死徒が従っている。

「既にこの街に命はありません。更にブレーメン攻略に向かわせた別働隊からも報告、騎士団残党に追撃をかけたものの、北海に脱出、取り逃がしたと」

その報告に静かに頷く。

「そうか、そうも全てが上手く行く筈も無い。こちらも終わった。北侵軍の侵攻を開始する。別働隊に北上を伝えよ。それと『ダブルフェイス』を。陛下にご報告せねばならん」

「承知」

しかしその語尾に重なるように弱々しい、だが明確な意思に満ちた声が『地師』の耳を叩く。

「そう・・・は・・・いくか・・・」

それはもはや残る命僅かのリーズバイフェだった。

「呆れた生命力だ。下半身を失ったと言うのにまだ意識があるか」

『地師』の声は紛れも無い賞賛だが、この男が言うと皮肉にしか聞こえない。

震える手でリーズバイフェは何かを懐から取り出した。

「ここで・・・き・・・さま・・・らを・・・がはっ・・・」

吐血が台詞を止める。

「きさ・・・ま・・・らを・・・い・・っ・・・ぴき・・・でも・・・み・・・道連れに・・・」

だが、その瞳は少しも死んでいなかった。

「・・・エルト・・・ナム・・・後・・・は・・・」

(後は頼みましたよ・・・)

事切れる寸前握られた物・・・爆破スイッチ・・・を全ての力を込めて押した。

その瞬間、騎士団本部はおろかハンブルグ市全域が爆破された。

リーズバイフェは『六王権』侵攻直前からハンブルグに存在する建物に可能な限り発破を仕掛けて置くよう手配していた。

もしここで自分達が『六王権』軍を食い止められないとしても、このハンブルグそのものが防壁であり罠となって敵を一体でも多く粉砕する為に・・・









ハンブルグは廃墟を越えて完全に跡地となっていた。

いたる所で瓦礫が小山を創り、崩れかけた建物は重力に逆らいきれず大地に悲鳴にも絶叫にも似た轟音をたてる。

その下には無数の死者が下敷きとなり、そのほとんどが二度と動き出す事のない本物の死体に戻っていた。

そしてそれは騎士団本部も同様だった。

最も爆発の威力が激しかったそこは瓦礫すら周囲に四散し、赤茶色の土がむき出しとなっていた。

だが、そんな場所に平然と立っていたものもいた。

『地師』とネロ・カオスだった。

傷一つ無く平然と立っていた。

「・・・ネロ・カオス、被害を確認せよ。それと『ダブルフェイス』を至急こちらに」

「はっ」

瓦礫の中に戻っていく。

「・・・やってくれる・・・」

その口には死の間際まで・・・いや死しても尚の事、決して自分達に屈する事の無かったリーズバイフェに対する敬意の念に溢れた笑みがこぼれていた。

その視線の先・・・リーズバイフェの上半身があった場所・・・には何も無い。

推測するに彼女自身も爆薬を括りつけていたのだろう。

そしてスイッチを押すと同時にその爆薬で肉体は四散した・・・

ただ、根元からへし折れた剣と完膚なきまで大破したパイルバンカーが彼女の墓標の様に大地に突き刺さっていた。

「勇敢なる騎士よ眠るが良い。この地においてこの星が美しき姿を取り戻す様を眺めるが良い」









『闇千年城』に北侵軍の騎士団壊滅の報が届いたのは、東侵軍からの火急の報が届いたのと前後してのものだった。

「・・・ふむ・・・やはりルヴァレの程度の小物では制せれぬか・・・仕方ない。西侵軍か南侵軍を差し向けるしかないか・・・」

「陛下、北侵軍より吉報です。騎士団の壊滅に成功した模様」

二十七祖に匹敵する大死徒を冷淡に突き放した『六王権』だったが『影』の報告に笑みを浮かべた。

「そうか・・・やはり『地師』に任せたのは正解だったな」

「御意。さすがは『地師』。我らの予想を遥かに超える速度で目的を達成するとは・・・」

二人の言葉からも判る様に『地師』は『六師』の中では最も深い信任を『六王権』より与えられていた。

『彷徨海』の予想外の進撃の早さに『暗黒のイースター』作戦の変更を余儀なくされ、北侵軍の本格侵攻が三日か四日、最悪一週間は掛かるだろうと踏んでいた『六王権』や『影』にしてみれば、その作戦成功の報は現場の指揮官を称えるのに十分な戦果だった。

「ああ、つくづくだがお前を始めとして私は臣下に恵まれている。『影』、北侵軍に繋げ。私より勅令を下す」









『・・・『地師』ご苦労だった』

『ダブルフェイス』を介して現した『六王権』に『地師』は深々と頭を垂れる。

「陛下、ハンブルグ、ブレーメン攻略にここまで不要な時間をかけた事、及び陛下よりお預かりした北侵軍を無駄に損ねた事、この場を借りお詫びしたします」

『詫びる必要など無い。予測ではもう一週間は我々の攻撃を耐えると思われていた。それをこの程度の時で目的を果たしたのだ。それを讃えこそすれ、咎める道理などない。それにゴミが何匹失せようと大した問題ではない。直ぐに増えるのだからな』

「勿体無きお言葉」

『それで損害の程は?直ぐに進軍は出来るか?』

「損害は全軍の内二割の死者が完全に死に絶え、同じ数の死者が脚を潰されもはや役を為しません。幸い死徒は全て無事ではございます。ただ、侵攻の為には再度の編成が必要であり、役をなさぬ死者共の駆除にも時間が掛かります。更にブレーメン方面の部隊の到着も待たなければなりません。少なく見積もっても三日か四日は」

『なるほどな・・・まあ良い。それでも予想を一週間ほど上回る速度だ。その速度で軍を再編し、完了次第北侵を開始せよ』

「御意」

『それと、『地師』すまぬが、北侵軍はこれよりお前ひとりで、指揮をしてもらいたい』

「と言われますと、他の軍に何か?」

『ああ、西侵軍と南侵軍は予想以上の戦果を上げながら進軍しているが東侵軍が後れを取っている。所詮小物だったようだ。私も少し買い被り過ぎたな』

「押されているのですか?」

『ああ『彷徨海』が部隊を展開しているのは聞いているだろうが、我々の予想を遥かに超える規模の部隊を展開している』

『彷徨海』・・・魔術協会三部門の一つであり純粋な魔術の探求を進める『時計塔』、頭脳を極限まで鍛え上げ未来の限りない可能性を探求し続ける『巨人の穴倉』、アトラス院。

ある程度外部にその名が知れている二つに比べ『彷徨海』は名前以外は何処に本拠地があるのか、どの様な探求に勤めているのか、『時計塔』、アトラス院の上層部ですら把握していなかった。

ただ、複合協会だと言う事と北欧に居を構えているという数少ない公表のみだった。

「ほう、『彷徨海』がそこまで善戦しておりますか」

『そうだ。既にベルリン近辺にまで押し返された、ルヴァレの無能には防衛に専念せよと伝えている。至急ネロ・カオスを東侵軍に派遣せよ。その時点でネロ・カオスを東侵軍総司令に任ずる』

「でルヴァレは?」

『奴はオーテンロッテの元に送り返す。最下層の死者と同等の扱いでな』

二十七祖に手が届くだろうと噂されるルヴァレにとってそれは最大級の屈辱に違いない。

何百年と時を経て大死徒となった筈の自分が下等な死者と同じ扱いに御されるとは想像もしていないだろう。

その様を容易く想像出来、蔑みの笑みを浮かべる『地師』。

「陛下、勅命謹んでお受けいたします。ただちにネロ・カオスを東侵軍へ向かわせます」

『うむ』

静かに頷き映像は途切れた。

「・・・ネロ・カオス!!」

「ここに」

「聞いていたな」

「はっ」

「直ぐに東侵軍の元に向かい『彷徨海』に対する迎撃と反撃の指揮を取れ」









『地師』率いる北侵軍が迅速に騎士団を壊滅させた報はすぐさま侵攻を開始した西侵軍、南侵軍、海上遊撃軍に届けられた。

「さすがとっつあん。もう騎士団壊滅だってよ」

既にドイツ南部国境を越えスイス、オーストリアに侵攻していた南侵軍を指揮する『風師』は相棒に笑いかける。

「当然だ。『地師』の実力ならこれ位当たり前に行える」

「そりゃそうだ。何と言っても俺らの中でも何でもこなせる万能だからな」

「と言うよりもお前は戦闘に特化し過ぎているだけだろ」

「違いない」

皮肉にも動ずる事無く笑い飛ばす。

「それよりも遊撃軍は浮き足だつだろうな」

「ああ・・・そうかもな」

不意に発せられた『炎師』の言葉に納得したように頷く。

「『水師』もあれが無けりゃな・・・」

「言うな・・・」

互いに苦虫を噛み潰したような表情を見合わせていた。

「さて気を取り直して進軍を進めよう」

「ああ」









一方、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグに軍を展開している西侵軍でも・・・

「姉ちゃん、『地師』の父さんが騎士団壊滅させたって」

「随分早いわね。まあ『地師』の実力なら当然か・・・でもそうなると・・・」

「多分『水師』の母さん、浮かれてると思う・・・僕行って来て止めてこようか?」

「無駄よ。ああなったメリッサ姉さんを戻せるのは『地師』だけよ。陛下でもどうする事も出来ないわ。それよりも今は私達のやる事をこなしましょう」

『光師』の提案に半分・・・いや、もう匙を投げたとばかりに諦めきった声を『闇師』が発して全軍の更なる進軍の号令を発した。









そして・・・リューベックから既に海上に進出していたスミレと合流し、僅かの時間でバルト海南部からデンマークユトランド半島とスカンジナヴィア半島を別つスカゲラク海峡を制圧した海上遊撃軍にもこの報が届いた。

「メリッサ様ぁ、『闇千年城』からニコラス様が騎士団を崩壊させたって報告来ましたよぉ〜。流石ですねぇ〜」

スミレからもたらされたその報告を聞くや、今まで手足の如く軍を操り、幻獣王『ウンディーネ』を用いて次々と船を沈め、又は水をスクリューに絡ませ、動きを封じてからスミレ直下の死徒を乗り込ませ阿鼻叫喚の地獄を作り上げそれに眉すら動かさなかった冷酷な才女の面影は消滅した。

「!!スミレ本当なの!」

「ええ本当ですよぉ〜ほら陛下が直々に」

「本当だわ!ああ〜良かったご無事で・・・!!そうだわ!こうしちゃいられない。直ぐに労いに行かないと・・・おいしい料理をたくさん振舞って・・・後お酒も用意して・・・それと最後には私の事も頂いていただかないと・・・」

まさしく恋する乙女の如く頬を赤らめ、空想に酔いしれて、水面でワルツを踊る『水師』。

その様は傍観者には世にも美しい光景であったが、当事者達には頭痛の為でしかない。

実はスミレは『暗黒のイースター』開始直後、極秘裏に『六王権』に呼び出されある極秘命令を受けていた。

「はぇ?メリッサ様がニコラス様関連で浮かれたり、我を無くしたら好きに行動させろと言うんですかぁ〜」

「そうだ。普段の『水師』はまさしく冷酷かつ、冷静沈着な水の女王であるが『地師』が絡むと『六師』の中でも最も行動の予測がつかなくなる。『地師』に危機が迫ると聞けば持ち場が何処であれ一目散に『地師』の元に馳せ参じるであろうし・・・『地師』に功を立てれば我が事の様に喜ぶからな」

そう言って軽く溜息をつく『六王権』。

それだけこの夫婦の絆の強さが伺える話であるが、状況次第では、それはまさしく頂けない事態である。

「それでしたら陛下がお諌めになられたら良いのではないのですかぁ〜」

「それが出来ているなら当に行っている」

スミレの質問にやはり溜息をつくのは『影』。

『水師』の『地師』が絡む行動の突飛さは『六王権』軍の頭痛の種であり、この事には主君『六王権』ですら手を焼いていた。

処断しようにも、普段が冷静沈着で、しかも有能である分それも惜しい。

ならば、『水師』に『地師』に関わる行動を禁じて、全軍の軍規を正そうとすれば今度は『水師』の行動効率が異常に落ち込んでしまう。

簡単に言ってしまえば『地師』の身を案ずるあまり指揮すら放棄してしまう事態まで過去何度か起こしている。

懲罰のつもりで『地師』との接触を禁止する命令を出したのは良いが、その直後から『水師』が異常に落ち込んで軍の総指揮すらも放棄した為にかえって全軍に支障が出る結果となった事態をも引き起こし、『六王権』は慌ててその命令を撤回した事すらあった。

そんな事態なる位ならむしろ『地師』と『水師』を一組にしてしまえば解決するのだが、海軍を統括できる死徒は現状『水師』とスミレ以外存在しない。

簡単に言えば人手不足なのである。

『水師』が局地的に起こす騒動と水上を自由に行き来出来る死徒の確保、この二つを天秤にかけた時どちらに傾くかなど、自明の理だった。

「それ故に『水師』が制御できなくなった事による指揮官不在、指揮官放棄の事態は避けたい。スミレお前にはそうなった事態の際には海上遊撃軍司令官に自由に就任できる権限を『六王権』の名で与える。『水師』が落ち着いた時点で再び指揮権を返上せよ」

「判りましたぁ〜」

だが、いかに理屈をつけたとしても、これがどれほど身内に甘い処置なのかは言うまでもないだろう。

実際『六王権』本人も甘い処置なのは自覚していた。

最も、『影』、及び『水師』を除く『五師』は既にこの件については諦めていたし、他は『六王権』に意見できる筈も無く、この問題が表面に出る事は一度もなかったが。

余談を戻し、その様を見たスミレは直ぐにその権限を行使した。

「メリッサ様ぁ、ニコラス様の所に行って来ても良いですよぉ〜戻ってくるまで私が指揮してますからぁ〜」

「本当!話のわかる配下で助かるわ、スミレ!!明日には戻ってくるからそれまでスカゲラク海峡の封鎖を完全にしておいて。それが終わったらリレ海峡、ストア海峡、エール海峡の制海権を確保してその現状を維持!その三つの海峡を押さえちゃえば北侵軍も自由に通行できるから。じゃあお願いね!!」

そう言って相手の返事を聞く事無く、海中に潜り込んでしまった。

「普段は良い方なんですけど・・・大変ですねぇ〜ああなると・・・」

しみじみとスミレは呟いた。

ちなみに『水師』が遊撃軍司令官の地位に復帰したのは北侵軍侵攻開始と同じ日だった・・・









衝撃の映像と共に告げられた開戦より半月が経過した。

だが、これだけの時間が経過したにも関わらず、正確な情報は一握りほどしかない。

各国首脳はあれだけの惨劇を見せつけられたにも関わらず・・・いやもしかしたらあれだけの惨劇だったからこそ・・・未だ有効な手段を出す事が出来ず対策も後手に回るばかりだった。

そしてそれは表の国家だけに留まらず『聖堂教会』、『魔術協会』も似たような状況だった。

いや・・・教会の方がまだましだろう。

局地に限定されるが、代行者が必死の反撃を見せ、少数であるが『六王権』軍の死者、死徒を討ち取り侵攻を遅らせていたのだから・・・最も分単位の時間であるが。

しかし、もう一方の協会はと言えば、こちらは未だ表立った動きを見せる事無くただ右往左往するだけで『六王権』軍に対抗する部隊すら編成していない有様。

唯一の例外は『彷徨海』のみだった。

いち早く部隊を再編し『六王権』軍に序盤こそ互角に対抗してきたのだが、東侵軍総司令に第十位ネロ・カオスが就任してからは敗走を繰り返し、ポーランド国内で激戦を繰り広げている。

この様に前線に立つ勇敢な人々によって速度は和らいでいるが、前線とは程遠い安全な場所で居座っている人間達の無能によって状況が悪化し、『六王権』軍は着々とその侵攻範囲と速度、更には手駒たる死者を増やしていった。

そんな中、志貴達『裏七夜』の面々はと言えば・・・未だ日本にいた。

志貴達も手を拱いていた訳ではない。

封印の報を聞くや志貴達は直ぐに英国に飛んだ。

無論目的は協会との連携でドイツに入国し『六王権』軍と一戦交える為である。

しかし、そんな志貴達を待っていたのは魔術協会の丁重なる門前払いだった。

曰く『これは欧州にて起こった我らの問題。高名な『真なる死神』、『錬剣師』のお手を借りる必要もありません。どうぞお引取りを』と言う極めてふざけた言葉だった。

そのくせ凛とアルトリアの面会及び現状の情報要求には前者には『彼女達は我が時計塔に所属する生徒とその使い魔。現在非常事態のため無闇な面会は禁じています』、後者には『これは機密事項、外部の人間にはお答えできません』と融通の利かない返答を返すだけ。

あまりの事に士郎も志貴も一瞬“協会を先にぶっ潰すか”と危険思想に囚われた。

しかし、貴重な友軍を同士討ちで減らす訳にも行かず、更に後々の事も考え協会との間に無駄な軋轢も生じさせたくない思いに歯軋りしながらここは引き下がった。

だが、気を取り直し今度はバチカンに飛んだ。

そこでエレイシアから情報をようやく引き出した。

「つまり『六王権』は軍を大きく四つに?」

「そうです。現在ドイツ西部国境に面するオランダ・ベルギー・ルクセンブルグに攻撃を仕掛けている軍、南部国境に面するオーストリア、スイスに侵攻している軍、東部国境、ポーランドを攻めている軍、最後に北部デンマークに攻め入っている軍に分散しています。ただ、バルト海、欧州上空にも『六王権』軍目撃の情報がありますので正確には六つですね」

「姉さん、奴らの侵攻具合は?それと反撃は?」

「両方ともかなり深刻です。西部及び南部は先に言った国にかなりの数が侵入しています。国軍が必死に国民の避難を行っていますが次々と『六王権』軍の手駒とされています。東部は一時期『彷徨海』の助力もあってベルリン近郊まで押し返したのですが指揮官が変った為でしょう。今はポーランドにまで押し戻され、国内にて戦闘が断続的に続いています。侵攻が遅れているのは北部ですが、その北部ですらデンマークに侵攻。ユトランド半島が既に『六王権』軍の手によって陥落、コペンハーゲンに迫る勢いだと報告が上がっています」

「それなら海峡に繋がる道路を爆破なりして寸断すれば・・・」

「それがどうも上手く行きません。バルト海に出現している『六王権』軍が船舶を襲撃し船員を死者にした上でその船舶を使って海を越えさせているんです。おまけにバルト海一帯はほぼ『六王権』軍が制海権を手中に収めています。このままの勢いだとコペンハーゲンはおろか、北欧スカンジナビア三国にまで戦火が及ぶのは時間の問題でしょう」

表面上冷静を装いながらもその口調は若干震え、声もやや上ずっていた。

「エレイシアさん、フランスとチェコには攻め込まれていないんですよね?そこから逆侵攻はかけられないんですか?」

「残念ですが、今欧州各国はドイツを始めとする『六王権』軍に侵攻された国から、脱出した難民の受け入れに精一杯です。おまけに侵攻を受けていない国すら断続的に死者の奇襲を受けています。とても逆侵攻をかけられる余力はありません。それに・・・」

「それに?どうしたんですか?」

志貴の質問にエレイシアは珍しい事に言いよどむ。

おそらく不確定な事なのだろう。

「これは確認された情報じゃないんですが・・・どうも『六王権』軍にこちらの通信や情報が筒抜けになっている節があるんです」

その言葉に二人も顔を見合わせる。

「情報が?」

「ええ、何度か『六王権』軍を挟撃や奇襲を仕掛けようとしたのですが逆に包囲されたり奇襲を仕掛けられる事態が続発しているんです」

「偶然・・・と言う事は?」

「一度や二度ならそう考える事も出来ますがここ数日の戦闘で悉くです。どう考えても何らかの手段をもって此方の情報を手に入れているとしか思えません。その為」

「動くに動けない状態と言う事ですか・・・」

「ええ現に教会は埋葬機関を含む全戦力を、イタリア本土に集結させているのが現状です」

「守勢しか手は無いと言う事ですね・・・」

「はい・・・」

結局現在の戦況がいかに不利なのかを再認識する事しか出来なかった。

また侵入しようにもこちらの情報が筒抜けであるのは確実なので侵入も出来ず、更に教会上層部も『裏七夜』の手を借りる事に未だに難色を示し、渋々日本に帰国するしかなかった。

その後はエレイシアと連絡を密に取り、状況の正確な把握に努めるしか他に手は無かった。

晃の妻である雪が『七星館』を訪れたのは、そんな地道な作業をしている時だった。

「あれ?雪ちゃん?」

「コハちゃん、良かった、シオンさんいる?」

「シオンだったら今いるけど・・・どうしたの?」

「うん、シオンさんにお客さんが来ているの・・・すっごい剣幕で」









琥珀の連絡を受けたシオンと志貴が里に向かうとそこには一人の少年が待っていた。

「!!」

少年はシオンの姿を認めると直ぐに駆け寄る。

「君は確かリーズバイフェの近侍を務めていた・・・」

「はい!お久しぶりです!」

シオンが少年の目線まで身体をかがませる。

「どうしたのですか?私に用があると聞きましたが」

「はい、リーズバイフェ総司令がこれを貴女にと・・・」

そう言って片時も手放す事がなかったケースを手渡す。

「・・・これは・・・」

そう言ってケースをあけると、そこには刃が数本入っていた。

「??シオン、これは」

夫の質問に淀みなく答える。

「・・・間違いありません。これは以前再会した時にリーズバイフェに頼んで用意してもらった槍鍵の一部・・・」

「槍鍵と言うと・・・彼女が使うというパイルバンカーに装填していた奴と同じ物か?」

「そうです。概念武装でも強力な部類に入り直撃を食らえば二十七祖でも無事ではすまない代物です。これを加工して弾丸とすれば私のもつブラックバレル・レプリカも対死徒の必殺武器となります」

それからシオンは少年に視線に戻すと肝心な質問をする。

「それでリーズバイフェは?彼女に直接お礼を言わなくては。情報では騎士団はかなりの損害を被ったそうですが生き残りはいると聞き及んでいます。今残存戦力の統合を行っているのですか?」

「・・・いいえ・・・」

少年は俯く。

「では入院しているのですか?無理もありません。相当の激戦だったと聞き及んでいます。こうしてはいられません直ぐにお見舞いに向かわなくては」

シオンの声は極めて硬かった。

まるで真実からひたすら目を背けるかのように・・・

「・・・いいえ・・・総司令は・・・殿となって残られました・・・そして・・・」

「冗談は止めて下さい」

少年の残酷な真実を拒否する様に苛立ちの視線を少年に向ける。

「冗談ではありません・・・リーズバイフェ総司令は・・・」

「!!」

志貴が止める前にシオンの平手が少年の頬を捉えた。

それ程強くは無いが、バランスを崩したのだろう、地面にしりもちを突く。

「うそです・・・うそです、嘘です!嘘です!!そんな可能性はゼロに等しい!!そのような事はアトラスの錬金術師である私が認めない!!」

「シオン!!」

駄々っ子のように一声叫ぶと森の方向に駆け出した。









志貴がシオンを見つけるのはそうも難しい事ではなかった。

森の入り口でこちらに背を向けて微動だにしていない。

だが、今のシオンは幼子よりも頼りないものを感じさせた。

「シオン」

志貴の声にビクッと身体を震わせる。

「・・・志貴・・・その・・・」

「ああ、あの子なら晃達の屋敷に今日は泊まって行く様に伝えた」

シオンの質問を最後まで聞く事も無く答える。

「申し訳・・・ありません・・・取り乱して・・・志貴の手を煩わせてしまって・・・」

「気にするな」

志貴のいつもの言葉だったがそれでもシオンはこちらを向かない。

「・・・友人だったんだな」

「はい・・・確かに会ったのはほんの数回でしたが手紙や電話回線での交流は欠かせませんでした・・・結婚すると聞いた時には祝電をわざわざ送ってくれたのですから・・・」

その電報をシオンは大切に保管している。

「良いんだぞ泣いても・・・大切な友人の為なら・・・」

「・・・いいえ、泣きませんし・・・泣けません。泣くのは・・・彼女の魂を慰め、再び世界に平穏が訪れた時だけ・・・だから今は・・・」

「そうか・・・じゃあ戻ろう」

「はい・・・」

シオンの返答を聞き背中を向けた時、志貴の背中に誰かが寄り添った。

誰かなど言うまでもないが。

「背中・・・いつでも貸せるから無理するな・・・」

言い終わる前に背中から押し殺した嗚咽が耳に入る、背中の服が濡れる。

これ以上は何も言う事も無く暫く志貴は天を仰ぎ静かに佇んでいた・・・シオンの嗚咽の泣き声を聞きながら・・・

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